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やま猫SOMETIMES

2009年に亡くなった漫画家・エッセイスト、やまだ紫のブログを移植しました。

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クロワッサンプレミアム


今発売中のクロワッサンPremium(プレミアム)3月号に、やまだ紫がちょこっとだけ取材協力をさせていただきました。
くわしくはクロワッサンプレミアムのホームページをご覧いただければと思いますが、今回は「ちょっとだけ贅沢な京都特集」ということで、やまだは「行くたびに会う、心洗われる仏像」というコーナーで千本釈迦堂の千手観音像をご紹介しております。なおこの仏像紹介者は記事中で「京都通」と紹介されていますが、やまだはまだまだ京都通にはほど遠いです。。。
料理や観光スポットの紹介など盛りだくさんですので、京都に興味のある方は手にとってみてください。



★ご購入は下記からも出来ます。
クロワッサンPremium (プレミアム) 2008年 03月号 [雑誌]

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みぞれ雪

 京都はここ数日、降ったり止んだり晴れ間もあったりの雪の日が続いている。比叡山の頂上あたりはさすがに白く雪をかむっている。
出かける用事も続いているので、帰りの早い日は買い物をして、さぼりがちだった料理をする。
 京都は食材が新鮮でおいしいので、簡単な手間でおいしいものが出来る。
 例えば、シメジを出し醤油にからめて焼くだけできのこの旨みが楽しめる。釜揚げしらすに九条ねぎにみじんを混ぜて天ぷら、それをだし醤油におろし大根でいただく、おいしいぞ。
 もともと料理は好きな自分だったけれど、「更年期」や「鬱」を経験してから何も出来なくなった期間がある。ことに、子育てが終えて子供達が手元を離れていってから、自覚のない暗い谷間に入っていっていただろうと現在では分析できる。
 若さや何かに夢中になっている我が子たちにもいつかこんな日がくるのだろうか。そういうことを我が子が手元から巣立っていったときからいつも心の隅で気にかけている。
 私の同年齢の知り合いにも、日々をどう過ごしたらいいのかと悩んでいるひとも案外いる。そしてその人に的確な助言もできないのだ。若い時代の自己を確信的に過ごす、それがなんらかの助け舟になりうるのでは、とおもうが、なかなかそうもいかない。
「我が子だけでも、しっかり育てる」「子供は常に親を同等の生き物」だととらえがちでもある。それは子供という姿だけ小さくて、言葉もつたないだけに、まわりの大人が寄ってたかって面倒をみたくなる生き物だからだ。自分たちが「子供」だったころを考えて見ればいい。小さな体の子供の内側はあらゆる「欲望」に翻弄されている。それらを自らの「親」というガラス越しにみる、人生のはじめに反抗する対象が「親」なのだ。
 おろかな「親」はこの得体の知れないちいさな生き物にかしずき、甘やかし子供をバカなままそだてていく。反対にみっともない子供のままでおくまい、そうする事はそのままその子の不幸に繋がりがちなのだと学習を続けた親は知っているからこそ、いちいち「それはちがう」と説教すると「うるせえ」「関係ないだろ」と壊れていく場合もある。なにをどう言っても小さな自分の世界のみを「是」として挙句の果てに悪態をついて、産み育ててきた親に後足で砂をかけて行く子もある。砂をかけるならまだましなのかもしれない、昨今は簡単に親兄弟を殺す動物以下の生き物もいる。
 それは、天に唾を吐く行為だ。我の吐いた唾は我に帰ってくる。また「天」は「神」を代言する言葉でもある、日本人はヤオヨロズに神が宿る、という万物信仰をしてきた。それは人の知性に目覚めたはじめの人々の素直な「感謝」だった。
「ありがとう」とう言葉より「うるせえよ」的に親をないものとするほうがその人間にとっては都合がいのだろう。自分の曲がった過去を正視することが出来ないからだ。自分の悪行をいまさらあばかれるくらいならなかったこととして切り捨てれば、その場は通り過ぎることができる。おのれの口をぬぐっていればだれも知らない、とおおくの人間はおもう。
 けれど卑劣な行いをしたことを「自分と神」が知っている。恥を知るということはこれに気が付けと太古から問われていることなのだ。その中には私自身も入っている。
 それらの意味で、私は死ぬまで学びを続けたいと思っている。たとえ死の床について脳死のような状態になったときも魂が体から抜けてもだ。
 最近、「ガロ」に関わらず知己の表現者が亡くなっている。自分の目の前にも「死病」とむきあっている連れが居る。日々を刹那のおもいにかられていながら普通に生きようと互いにしている。「努力して生きている」のだ。買い物に行き、台所で料理をし、互いに「おいしいね」といって笑う幸せが有難い。 

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「「ガロ」」からの作家、鴨沢祐仁さんがなくなりました。

素晴らしい才能の持ち主であり、かつおしゃれな人でした。残念です。

くわしくは下記を。
鴨沢祐仁さんが亡くなる - 白取特急検車場【闘病バージョン】

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底冷え

 京都は「底冷え」がする、といいます。
 東京から通勤していた頃は山辺にある鉄筋コンクリートの建物で、特に真夜中までかかる入試判定では、足元からしんしんと冷えて骨が冷たいとかんじました。真夜中にホテルへ帰ってもしばらく体が縛られて居る様な冷たさで、暖かいバスに湯を張るまでの動く時間が必要であれこれしているとねむるまでさらに時間がかかり、辛い仕事だと思いました。
そして、たいてい迂闊な私はスケジュールや時間に勘違いはないか、何度も手帳を見て確認しなければ不安な性質なので通勤のころは「緊張」しながらうつつに眠る。というありさまでした。
だいたい、「余命3ヶ月」と2度も言われた自分ですから「京都のホテルで突然死」となってもおかしくありません。なにをもっての「余命宣告」でしょうね。
 ところでこちらへ着てから、「底冷え」は経験していません。
年末でも薄いコートで過ごせました。この感じでいくと今年の夏が恐いです。
私は寒さには対処できると思うのですが、暑さには弱いです。京都の風の動かない鍋の底の暑さには体力が必要です。
 それにつけ思うのですが、京都は高齢者の外出が多いです。バスはとくにそうですね、そして高齢者に席をゆずる場面にあまり立ち会いません。
それからバスや路面電車の並びの習慣がないようです、わらわらと入り口に群がってわれ先に乗ろうとします。
東京ではたいていの順番にルールが成立しています。買い物のレジが沢山あってもレジに行けるルートが整備されています、京都でもそういう店はすこしずつふえています。
たとえば四条のJ書店、銀行など。
私はどこの土地に住まおうと、ほかのひとがどうであろうと自分は「人として正しく在りたい」と思っています、かつ楽しく生きたいとも。
京都は素晴らしい遺産土地です。この都市に住まう事の幸せを日々感じています。だからこそこの地に昔から居を営んでいる人の「民度」をこれからも見守りたいとおもっています。

 

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